シーボルトとは

 ※資料元 『ハインリッヒ・シーボルト没後100年記念資料集より』



シーボルト父子とは


 日本でシーボルトと言われると、真っ先に名前のあがるのは江戸時代、出島に来日したフィリップ・フランツ・フォン・ シーボルト(通称:大シーボルト)であろう。しかし、かつてはその有名な大シーボルトの歴史さえも日本の歴史では正確に伝えられているかというと必ずしもそうではなかった。最初の渡航の後、江戸末期に大シーボルトはその長男アレキサンデルを連れ再来日、その父の死後になるが今度はアレキサンデルが徳川昭武一行の通訳としてヨーロッパを歴訪した帰りに、本国で父の晩年の研究を手伝っていた弟ハインリッヒを連れて日本を訪れている。その後兄弟は、父の遺志を継ぎ、父の愛した国『日本』の為に身を粉にして働いた。兄は特に外交官としてその才能を発揮し、晩年は井上馨元外務卿の特別秘書として勲一等を拝受している。弟は、同じく外交官として兄と共に不平等条約の改正、ジュネーブ条約の締結、日本が初出展したウィーン万博の成功等、数々の実績を上げながら(晩年勲三等を拝受)同時に、父から受け継いだその溢れ出すような探究心によって考古学(考古説略を発表し、日本に考古学という言葉を根付かせる)、民族学等の研究を深め、その研究成果と彼の蒐集品の多さから後に研究史上では、父にちなんで小シーボルトと呼ばれることとなる。

 この父、兄弟、さらに含めれば兄弟の義姉イネ、鳴滝塾塾生たちの歴史まで含めてが日本シーボルトの歴史である。そして、その歴史は業績的なことも然ることながら、シーボルト父子という青い目をした異国人がその人生を懸けてまでも愛した国家が、この日本に存在をしていたという証左なのである。現在、多くの方たちのご尽力でシーボルト研究は進み、  平成20年には研究者の方々が集まって日本シーボルト協会の発足が宣言されるまでに至り、その研究は次世代へと 受け継がれつつある。この資料集は、その研究の発展に子孫として深く感謝をすると共に、その一助となるべく私どもの研究過程の一部をまとめたものである。



平成24年2月 日本シーボルト協会 関口忠志





家系紹介

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都内ハインリッヒゆかりの地


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