[1851年-1936年] 東京の日本橋の商店に生まれる。外国人との商売を積極的に進めた父吉兵衛がきっかけでハインリッヒと出会う。1872年(明治5年) 22歳の時にハインリッヒと結婚。学習院内の院生華族子弟の寮「主一館」で行儀指導役も勤めた。
くすもと いね
[1826年-1903年] 大シーボルトと楠本滝の娘でハインリッヒの異母姉。日本人女性として初の産婦人科医となった。1871年にハインリッヒ、アレキサンデルの協力で築地に開業、宮内省御用掛となるなど、その医学技術は高く評価された。
(小シーボルト) Heinrich von Siebold
[1852年7月21日 - 1908年8月11日] 考古学・民族学・民俗学・博物館学を学び、父の没後1869年に初来日。兄と共に諸外国との条約批准等外交に尽力。日本文化研究の功績も大きい。
アレクサンダー・ゲオルク・グスタフ・フォン・シーボルト
Alexander George Gustav von Siebold
[1846年8月16日 - 1911年1月] 1859年(安政6年)、父大シーボルトの再来日に伴って来日。ハインリッヒと共に日本政府との外交に尽力した。
(大シーボルト)
Philipp Franz Balthasar von Siebold
[1796年2月17日 - 1866年10月18日]
江戸末期に長崎出島のオランダ商館に医師として来日。
西洋人として初めて出島外に鳴滝塾を開校し、日本人に最新の医学を教えた。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの系譜図を、次男ハインリッヒ(ヘンリー)の家系を中心として現代に至るまで掲載しています