義姉 楠本イネ

楠本 イネ(くすもと いね) [1826年-1903年] 大シーボルトと楠本滝の娘でハインリッヒの異母姉。

 大シーボルトと楠本滝の娘であるイネは父の帰国後シーボルト門人の二宮敬作や石井宗謙に学び、女性で日本人初の西洋医学を学んだ産科医となった。
 また、村田六蔵(後の大村益次郎)からはオランダ語を学び、後年村田が襲撃された後、イネは彼を治療して、その最期を看取ったといわれている。
 ドイツ人と日本人の混血女児として差別をうけながらも宇和島藩主伊達宗城から厚遇され、1871年(明治4年)には異母弟のアレキサンデル、ハインリッヒの協力で築地に開業したのち、宮内省御用掛となるなど、その医学技術は高く評価された。ハインリッヒの第一子(夭折)もイネの助産で産まれている。
 1875年(明治8年)に医術開業試験制度が始まるが、女性であったイネには受験資格がなかったため、東京の医院を閉鎖、郷里・長崎に帰郷し、産婆として開業する。62歳の時、娘一家と同居のために長崎の産院も閉鎖し再上京、医者を完全に廃業した。
 以後はハインリッヒの世話となり余生を送った。1903年、食中毒のため東京の麻布で亡くなる。享年77歳。墓所は長崎市晧台寺にある。