シーボルトと日本のその後

シーボルトの晩年

マシュー・ペリーやアーネスト・サトウなど多くの若者を日本へ向かわせ、またゴッホやモネ、セザンヌなどの芸術家たちにも大きな影響を与えます。

愛妻である滝と愛娘の稲への援助は滝の再婚後も続き、自身も後に再婚。30年後の再来日時には長男であるアレキサンデルを連れて来日、弟子たちとの再会を喜ぶと共に、医師を目指して勉学を続けていた稲にも直接指導を行います。また幕府の外交顧問としても活動をしますが日本に有利な条件での開国を目指すシーボルトは他国よりの妨害に合い、桜田門外の変などのよる治安の悪化も重なって帰国、三度目の来日を目指しますが志半ばで肺炎によって70年の生涯を終えました。

アレクサンダー
ハインリッヒ
楠本イネ

シーボルトの医師は長男アレキサンデルと彼が後に連れてきた次男ハインリッヒに受け継がれ、シーボルト兄弟は日本政府にて不平等条約の改正、ウィーン万博の成功、日本赤十字社の発足、日露戦争の勝利など様々な活躍をします。

また兄弟に支援を受けた稲は日本人女性として初の西洋医学の病院を築地の地にて開業し、天皇家の出産にも立ち会うなどの活躍を修めます。

現在は日本では次男ハインリッヒの子孫である関口忠相氏が会長を務める日本シーボルト協会と次女マチルデの子孫であるコンスタンティン・フォン・ブランデンシュタイン・ツェッペリン氏が会長を務めるドイツシーボルト協会がシーボルトの日本愛と日本とヨーロッパの絆を繋ぎ続けています。

シーボルトのサインとハインリッヒの印鑑