江戸参府とは
鎖国下の日本において江戸幕府は例外的にオランダとの貿易を認め、1641年(寛永18年)に鎖国以前より平戸にあったオランダ商館を長崎の出島という人工島に移し交流を再開した。



江戸参府自体は1609年にオランダ使節の徳川家康に対しての謁見以来不定期に続けられてきた将軍への拝謁が1633年からは年1度とされ、出島への商館移転後も継続、貿易量の減少により1790年よりは4年に1度に変更、1850年まで計166回行われた。当初は暮れに出立し、旧正月に謁見していたが、これも1661年よりは旧正月に出立、3月朔日(旧暦)に謁見、江戸で半月程度逗留し、5~6月(旧暦)に長崎に帰着となった。


行程は長崎から小倉までは長崎街道を通り陸路、下関までは海路、下関から室(又は神戸)までは瀬戸内海を海路、そこかは陸路で大坂、京都を経て東海道を通り江戸に到着となる。 宿泊は参勤交代の宿場町に準じるがその他に、小倉、下関、大坂、京都では数日の滞在が許されており阿蘭陀宿といわれる宿を使用した。また、半月の時を過ごす江戸では長崎屋といわれる宿を使用し、その跡地(東京都中央区日本橋)には今も銘板が立つ。
江戸参府一行は規定では総勢59名とされ、オランダ商館よりカピタン(商館長)と書記、医官の計3~5名に幕府の役人など50名程度が随行した。