シーボルトスパイ説について

シーボルトが作成し、持ち帰った愛妻、滝の螺鈿細工
シーボルトが作成し、持ち帰った娘、稲の螺鈿細工

では、シーボルトスパイ説とはどこから発生したかといえば、ペリー来航後に同行したホークス牧師が記した『ペリー提督遠征記』が初出となります。この書籍は記録としてはもちろんですが、外交宣伝としての意味合いも強く、イギリスとの独立戦争に勝利をした後に世界の覇権国への進出を目指すアメリカが意図的に流布をした創作説であると考えられています。

つまりは日本という未開国に初めて文明を与えたのはアメリカであるという外交的な主張をする際に、実は既に多くの西洋文明を伝えていたオランダとその最前線である出島の存在は非常に邪魔なものであった。
更にその出島のオランダ関係者の中でも特別に知名度が高く、また日本中に多くの優秀な弟子を持つシーボルトの存在は大変に目障りであった。

そこで、シーボルト事件において不遇を受けていたことや、シーボルト自身が日本への再来日に向けての活発な行動をしていた事を歪曲活用してシーボルトスパイ説というものを創り上げ世界に発信をしたと考えられます。

愛妻、滝への手紙
帰国後も滝と稲への支援は続いた

シーボルト晩年写真

国外追放より30年後に長男アレキサンデルを連れて再来日、幕府の外交顧問などを歴任

シーボルト再来日時の旅券